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2024/10/04 院長ブログ~城めぐり編3・天守の復元について~
こんにちは。
今日は天守の復元について書いてみようと思います。
当院の地元、広島市には広島城があります。広島城天守は第二次大戦までは現存し国宝指定を受けていましたが、原爆投下により破壊され、現在はコンクリート製の復元天守が建っています。
同じように、日本各地にある天守の多くは戦災や明治期の破壊により失われ復元されたものです。
広島城や岡山城、名古屋城などは戦前の写真などをもとに立地や外観をなるべく再現されて復元されていますが、全国には立っている場所や外観が変わっていたり、もともとは天守がなかったのに想像で作られた模擬天守とよばれる建物もあります。
それらは歴史学的には正しくないので、歴史ファンの中には否定的に見る方もいらっしゃいます。ですが、私はそういった改変も建立当時の人々の城に対する愛情表現だと思って味わうようにしています。
例えば大阪城天守。大阪城天守は戦前の昭和初期に建立された国の登録有形文化財です。外観は豊臣期天守を描いたとされる屏風絵を元にしていますが、色は徳川時代天守の白色、建っている場所も徳川時代の天守台の上です。豊臣時代の天守台はその北東にあったとされ、現在は貯水タンクが設置されているあたりです。
時代考証がしっかりしていないハイブリッド天守であることは間違いないのですが、江戸時代初期の落雷で天守を失ってからずっと空っぽだった天守台に、大阪市民の敬愛する太閤さんをしのんで市民からの寄付のみで建立した街の誇りでもあるのです。そういった経緯を知るとコンクリート天守も味わい深いものとなるのです。
復元天守や模擬天守の城跡を訪ねるとき、ウィキペディアで天守建立の経緯について調べてみてはいかがでしょうか。城めぐりがより味わい深いものになりますよ。
大阪城天守 左側の背後に豊臣期天守台があったと思われる貯水池の土手が見えます。
大阪城天守 極楽橋方向からの夕景 落城後、豊臣方の人々は極楽橋を通って逃げたとされます。
大阪城二の丸 豊国神社前の秀吉像 視線は本丸方向に向かっています。
